カトリック聖人の生活 ✞ パート2 – 聖テレーズの姉 ❀ リジューの聖テレーズ ❀ 聖テレーズの約束 ❀ 聖テレーズの召命 ❀ 聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ✰ 聖フランシスコ・サレジオ✰ 聖ヨハネ・ボスコ✰ 聖ドミニコ・サビオ✰ 聖ヨハネ・パウロ2世✰ コルベ神父 ✰

カトリック聖人の生活 ✞ パート2 – 聖テレーズの姉 ❀ リジューの聖テレーズ ❀ 聖テレーズの約束 ❀ 聖テレーズの召命 ❀ 聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ ✰ 聖フランシスコ・サレジオ ✰ 聖ヨハネ・ボスコ ✰ 聖ドミニコ・サビオ ✰ 聖ヨハネ・パウロ2世 ✰ コルベ神父 ✰


喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある(マタイ5・12a)

 古くから数多くいるキリスト教の聖人の伝記を一望すると、いくつかの事実が浮かび上がる。

1.聖人の職業は実にさまざま。私たちは、聖人になるには修道者になって修道生活を送って…とイメージするが、聖人には王もいれば乞食もいる。インテリも庶民も、医師もうつ病の人も、農民も教師も、ストッキングの会社の社長もいる。主人も召使いもいれば、年寄りも子供も女性もいる。

あらゆる時代、国、身分、能力、職業にかかわらない。つまり、聖人とは私たちにとって身近な存在なのだ。


聖テレーズの姉】大好きなレオニー 神のはしため 落ちこぼれ 問題児

妹が聖人となり、リジューに聖テレーズの大聖堂を建てることになりました。献堂式でのバイユ司教の説教では三人のカルメル会のお姉さんたちについて話されました。しかし、レオニーはまったく無視されていました。幼い頃は、家のお手伝いさんにいじめられたり、修道生活でも3度も失敗して、数多くの挫折の内に生きたレオニー。そんなレオニーの列福調査がはじまり、「神のはしため」の称号を受けました。神様の目には落ちこぼれの人は誰もいません。

リジューの聖テレーズ】最も愛されている聖女のひとり 小さき花 幼きイエスの聖テレジア

修道女テレーズ・マルタンが肺結核で最後の息を引き取ったのは1897年、9月30日の午後7時20分。享年24歳でした。家族とわずかな友人、そして20人の修道女以外、彼女を知る人はいませんでした。 ところが、15年もしないうちに、自叙伝は100万部が印刷され、世界的に有名になりました。

テレーズは生前、次のように予言していました。

「神様は、私の大胆な望みを無限に超えた驚くべきみ業を、私のためになさるでしょう」

テレーズの死後、彼女の取り次ぎによって行われた奇跡の記録は記録することが不可能なほどの量となり、1940年には一日平均、三千通の感謝の手紙が、リジューのカルメル会修道院に殺到するほどになりました。

彼女は奇跡をまき散らし、人々の心を変えました。

聖テレーズの小さき道 テレーズは自分の天職を「愛」であると語っており、修道生活においても、人の欠点をゆるすこと、他人に惜しみ無く愛を与えること、人に譲ること、誤解されても相手を責めないこと、批判されても甘んじて受けること、苦手な相手のためにも愛をもって祈り善行をなすことを「完徳」への第一歩であると見なしていました。

【聖テレーズの約束】バラの雨 宣教の保護聖人 リジューの聖テレーズ 幼きイエスの聖テレジア

「神様は、私の大胆な望みを無限に超えた驚くべきみ業を、私のためになさるでしょう」 「私は天国から薔薇の雨を降らせましょう」

テレーズの死後、彼女の取り次ぎによって行われた奇跡の記録は記録することが不可能なほどの量となり、1940年には一日平均、三千通の感謝の手紙が、リジューのカルメル会修道院に殺到するほどになりました。

テレーズの遺体は、生前の彼女の要望通り、死後、骨になりましたが、1910年9月6日の最初のお墓の調査の時、棺桶を開けるとすみれとバラの香りがし、棺桶に入れた13年前と同じ状態で枯れる事なく新鮮なままの棕櫚が出てきました。

【聖テレーズの召命】全生涯の秘密 ジャンヌ・ダルクのように リジューの聖テレーズ 幼きイエスの聖テレジア

聖テレーズの召命と全生涯の秘密

聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ】社会福祉の先駆者 愛徳姉妹会創立者 カタリナ・ラブレの夢の人 不思議のメダイ教会

「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」マタイ25:40

このみ言葉に命を懸けた一人のカトリック司祭の物語。

聖フランシスコ・サレジオ】慈愛と柔和の聖人 聖母訪問会 対抗宗教改革

慈愛と柔和の聖人、フランシスコ・サレジオの物語

聖ヨハネ・ボスコ】若者の父 カトリック教育の師 サレジオ会 扶助者聖母会 ドン・ボスコ

ドン・ボスコは、19世紀に活躍した北イタリアのカトリック司祭、教育者。カトリック修道会であるサレジオ会、扶助者聖母会(サレジアン・シスターズ)の創立者。

聖ドミニコ・サビオ】オラトリオ 小さな巨人 サレジオ会 ドン・ボスコの教え子

ドミニコ・サヴィオは、1842年4月2日にイタリアで生まれました。サレジオ会創立者のヨハネ・ボスコの生徒で、司祭になるために学んでいました。しかし、胸膜炎により14歳で死去します。

聖ヨハネ・パウロ2世】歴史的謝罪 エキュメニズム 空飛ぶ教皇 平和の使徒

2014年4月27日、教皇ヨハネ・パウロ2世の列聖式が執り行われました。同時に列聖が決まった教皇ヨハネ23世、フランシスコ教皇、ベネディクト16世も共同司式者として出席し、 現役・名誉・列聖対象者あわせて4人の教皇の揃い踏みとなりました。

コルベ神父】アウシュヴィッツの聖者 聖母の騎士 20世紀の殉教者 身代わりの愛

アウシュヴィッツの聖者、身代わりの愛を実践し、20世紀の殉教者と言われるポーランド出身のコルベ神父。彼は第二次世界大戦の最も大きな出来事、長崎への原爆とポーランドでの大規模な迫害を予言していました。

聖母の被昇天 (8月15日)

聖母の被昇天

聖母の被昇天(せいぼのひしょうてん, : Assumption of Mary)とはカトリック教会の用語で、聖母マリアがその人生の終わりに、肉体と霊魂を伴って天国にあげられたという信仰、あるいはその出来事を記念する祝日(8月15日)のこと。1950年、当時のローマ教皇ピオ12世のエクス・カテドラ宣言によって正式に教義とされた)[1]

概要

元来は正教会生神女就寝が6世紀ごろに西方に伝わったものだが、信仰の内容はその後西方独自の発展を遂げた[要出典]。西方での最初の記録はトゥールグレゴリウスによる(P.L.71.coll.708)。このころは1月18日に祝われていた。その後皇帝マウリキウスの時代に、現在の8月15日と定められた。中世から聖母の被昇天はスペインイタリアドイツ等で崇敬されていたが、とくにバロック期以降盛んに信じられるようになり、教義とされるに到った。

南ヨーロッパや中南米などカトリック信徒の多い国では、8月15日が祝日となっている。日本でもカトリック教会では「聖母の被昇天」を祝う祭日とされている。

また、カトリックでは伝統的に、マリアは、その母であるアンナの母体に宿った瞬間から「アダムの罪(原罪)」から保護されたと信じられてきた。これが無原罪の御宿りの意味するところである。12月8日無原罪の聖マリア[2] の祭日であり、1854年に定められた。

正教会では8月15日(ユリウス暦の場合はグレゴリオ暦の8月28日に相当)に生神女就寝祭を祝う。これは「聖母の被昇天」とは違い、マリヤの死を「就寝」「眠りにつく」とし、原世の肉体でそのまま天にあげられたとはみなさず、むしろ魂のみが天にあげられ、来世の栄光の体を与えられたとする。またマリヤ信心は信仰のうちにおのずとくだされる私的啓示として理解されるものであり、教義として理屈抜きで信じるべき内容ではないと考える。

図像学的には、聖母の被昇天がマリアを成人の姿で描くのに対し、生神女就寝は、現世での生を終え眠りについたマリアの亡骸の傍にキリストが立ち、幼子の形をしたマリアの魂を抱き取っている姿で描かれる。ただし、就寝の三日後とされる、マリアが使徒たちに天の栄光において現れた場面では、東方教会においてもマリアは成人の姿で表される。


聖母被昇天 (ルーベンス)

聖母被昇天』(せいぼひしょうてん)は、フランドルの画家ピーテル・パウル・ルーベンスにより描かれた絵画である。同名の作品が複数確認されている。

  1. アントウェルペン聖母大聖堂に収蔵されている作品[1]。本項では、この作品について扱う。
  2. ウィーン美術史美術館に収蔵されている作品[2]
  3. デュッセルドルフのクンストパラスト美術館に収蔵されている作品[3]

聖母の被昇天とは? | カトリック中央協議会


聖母被昇天祭 – La France au Japon

カトリックの祝日である聖母マリアの被昇天祭は8月15日に行われます。この祝祭は今日、フランスではクリスマス、昇天祭、諸聖人の日とともに4つのカトリックの祝日に数えられます。

 夏の8月中旬の聖母被昇天祭の前後を休日にする連休は、家族や休暇仲間に合流するために旅立つ勤労者にとって大型バカンスを思わせる休暇です。人々の熱気にあふれた和気あいあいとした時間は、多くの場合、あっという間に過ぎていきます。

 フランスの多くの村では、8月に村祭りがあります。そこで、この連休に合わせて、村祭りが開催されることが多く見られます。

 カトリック信徒にとっての意義

 聖母被昇天祭はカトリックの信仰生活にとって大事な祝祭の1つです。地上の生活の終わりに、神とともにある聖母マリアの栄光を祝福する祭典です。マリアは死後、「天国に入る」ために地上生活から召し上げられました。被昇天祭(Assomption)はラテン語の「assumptio」が語源で、春の昇天祭(Ascension)とは区別されます。

 何世紀もの昔から、とても親しまれている祝祭と聖母行列

 被昇天祭は8月15日前後に世界各地に集まるカトリック信徒によって祝われます。フランスでは、おびただしい数の礼拝場所がマリアに捧げられます。

 パリでは8月14日、カトリック信徒がサン=ルイ島とシテ島周辺のセーヌ川上で聖母行列を開催します。ル・ピュイ=アン=ヴレーのマリア祭やノートル=ダム・デュ・ピュイの国際的な聖母行列も有名です。ルルド大聖堂にも何千人もの巡礼者が、この機会に訪れます。


「週刊大司教 第三十九回 聖母の被昇天」- カトリック東京大司教区


2021年聖母被昇天 菊地大司教メッセージ

聖母の被昇天の祭日にあたり、菊地大司教よりメッセージをお届けします。

カトリック福岡司教区が配信する音声説教です。福音朗読と説教を聞くことができます。 カトリック福岡司教区 http://fukuoka.catholic.jp/

カトリック山手教会 聖母の被昇天

聖書本文は、㈶日本聖書協会発行『聖書 新共同訳』(一九九九年度版)による

カトリック山手教会 聖母の被昇天

#カトリックの典礼配信

ミサは、事前に登録された方のみで人数を制限して行っております。教会に来られてもミサに参加することはできません。予めご承知おきください。

2021年8月15日 カトリック幟町教会 – 聖母の被昇天(祭日)ミサ –

15/08/2021(日) 10 AM 『聖母の被昇天ミサ (B年)』

2021年8月8日(日)に参加人数限定で行われる 『聖母の被昇天ミサ 』(B年)のライブ配信です。

緊急事態宣言が発出されています。

皆様に自由にミサに与っていただくことができないので、典礼のライブ配信をします。

いつもミサに与るときと同じように会衆の応答を唱え、ともに祈って下さい。

聖歌隊の歌は、事前に録音したものを使っています。

※ ミサ中のお説教は教会ホームページに後日掲載します。

https://www.ignatius.gr.jp/news/strea

【本日の聖書朗読箇所】

第1朗読 ヨハネの黙示 (黙示録 11:19a, 12:1-6, 10ab) 第2朗読 使徒パウロのコリントの教会への手紙(1コリント 15:20-27a ) 福音朗読 ルカによる福音 (ルカ 1:39-56)

8月15日18:00 司式 タルチシオ菊地功大司教 #聖母被昇天#カトリックの典礼配信